悪くない、ラストティーン

彼女と別れ(?)久しぶりの友達に会った寒めの春

どんどんいろんなことが変わっていく中で、ずっとそれにしがみついていたかった。
でも、どうあがいても変わっていくし、とどまり続けることはできないんだなと実感しています。

友人Tが海外大学を受験するというのを聞いたことでそれはより強まったように思います。
彼を自分は心から信頼していて、応援したいと思っているのですが、心のなかにはおそらく彼が遠くへ行ってしまうことへの寂しさがあります。

でも彼が海外に挑戦するのははどう考えても素晴らしいことで、自分にとってこんなに勇気の出ることは他にないと思うわけです。
だって中学3年生くらいからの付き合いの彼が、なんだか自分に似ていてライバル視してしまう彼が、人生大一番の勝負を仕掛けようとしているんですから。

自分がそれを聞いてただ応援するだけで済むわけがないんです。
彼に並んで、対等に、互角の関係でいるために自分がだらける理由がもうどこにもないんです。
こんなに心躍る焦りは他にないと思うわけです。

他力本願でしょう。


ただ、やっぱり全てを変える必要はどこにもないですね。

自分に疎い

つっかーと言います。


友人ととある企画の立ち上げをしていたら風呂に入りそこねた冬最後の猛攻の夜。

自分が得意なことが自分で把握できていない。苦手なことはいくらでもわかる。期日厳守とか、明るく振る舞うとか。

自分のことはだいぶ好きだと思う。それでも自分に関して知っていることが少ないのは見てこようとしなかったからだろうか。

基本的に上達までの初速は早いが、失速も早いというか、飽きが来やすいというか、そこまでものごとを深められない。しかも新しいことにチャレンジするのが億劫で、なんだか宙づりの気分だ。


バランスをとろうという意識だけがいつもある。勉強もして、遊んで、ベースも弾いて、でもちゃんと寝て。こだわりが薄いのだろうか。

なにか一つを極めなければいけないとは思わないが、そうなってみたい気もする。
文章を書くのが、読むのが好きだ。
読み書きで人が、特に自分が楽しめるのはすごくお手軽で強力だと思う。
書くことは手段であり目的。
話は方向を見失っているが、読み書きは長所と言っていいと思う。

あと、この好みはおそらく教育で培われている。学校での勉強を楽しんでいたからこうなった。
楽しかったのが理由か、楽しもうとして楽しんだのが理由かはよくわからない。おそらく両方だろう。


こうして色々書いているのは全て自分を知りたいという一心からかもしれない。

小説のセリフが多くてびっくりした

つっかーと言います。


サークルに少しは貢献した月曜日の換気扇横。

久しぶりに小説を読んでいると、自分の表現がいかに堅いのかよくわかる。

例えば朝が駅に満ちているという表現、すごく素敵だと思う。
朝日が昇って光が徐々に満ちてくる様子や鳥が鳴きだす音など、全てをぼんやりと包み込んでいる表現だ。(こういう文ですらもう堅い)

こういう言葉の使い方は憧れるけど、どうしても漢語を使いすぎてしまう。

あと、小説の会話量に驚いた。
レポートで短いSFを書いたが、地の文がどうしても多くなってしまっていまいち読みにくかったような気がする。
地の文はやはり説明的になりすぎる。
感情を直接的に言いすぎなだけかもしれないが、小説全体を通して登場人物の気持ちを明かすくらいで十分なのかもしれない。

他人との別れと自分の時間

つっかーと言います。



ぼんやりとベースを弾いて、valorantをやって、スマホをいじって一日を終えた春休み中盤。

先日、大学のクラスの人たちとスキーに行った時、来年度以降は学校で確実に会う機会はないなという話になった。

昔から会う機会を自分で作ることがすくなく、その場にいる人とつるんでいることが多かった自分は他人より別れの数が多い気がする。

会いたくないわけではない。むしろ色々な人と会いたいし、別れは嫌いだ。
かといって人に会うだけではなくて、本を読んだりベースを弾いたりもしたいからバランスが難しい。


高校のときより今はなんだか冷めた関係が多い気がしている。
心の底から馬鹿になれる機会はどんどん減っていくのかな。

すべてをスマホのせいにする人間はどうかしていると思うが、頭を使えなくなっていくような実感がないや脳が溶けているような感覚があるのでyoutubetwitterは控えようと思う。
多分、人生の密度というべきかわからないけどやれることが増える。

自分で考えたことだけを書いていくと、最終的には自分に原因を見出して自分を改めようという方針になる。
説教じみているけどそうやって自分を改めようという意識があるうちが花かもしれない。

夜にしかない雰囲気の中で

つっかーと言います。



大学一年生をほぼ終えて春休み本番の雪の日。もうおそらくやんでしまったけど。


PCのシューティングゲームを初めてやっていたらもうこんな時間。確実にハマってしまうからどれくらいやるかは考えねば。
ゲームが下手な自分の割には上手くいった気がして楽しかったのが原因だろうな。


一緒にゲームをしていたKが「自分のやりたいことはいくらでもできるけど、強制されていると感じたら全くできない」と言っていた。
実際そいつはその通りの人間だし、多分自分でもやらなきゃいけないことはやりたいと思っているのだろう。


別の友達Tは「好きなことでも全てのものに強制力を感じてしまうようになる。だから最低限だけでそれらを済ましてしまう」と言っていた。
僕はどちらかというとこちら側に近い気がする。どこかのタイミングで好きなことの中にも、どうしてもやらなきゃいけないわけじゃないけどやったほうが良いことが出てくる。ベースもそうだし、勉強はその過程が永久に存在し続ける印象がより強い。


前にも書きましたが、勉強は好きです。
これは受験の時に、好きになったら楽だなと思って好きになりにいった結果、好きなまま今に至るという感じ。


義務を楽しむのは自分に最近見出した長所と言っていいかもしれない。


楽しいだけのことは本当に少ないと思う。楽しいと感じる部分だけを繰り返してもいつか飽きは来るし、それが趣味ならもっと上手くなりたいと思うだろう。
その結果どうしても義務は出てくる。昔のRPGは本当にレベル上げが大変だったらしいですね。多分その感覚に近い。


Kの場合は好きなものに属する趣味は、やりたくないと感じるラインが他のものより高いのだろう。
好きなことに義務を持ち出したくないという気持ちもあるようで、つくづく自由がゆえに不自由な奴だなと思う。


義務はどうせ義務なんだから、いま自分にできるのはそれを嫌いにならないように上手く楽しむことだ。
Kのように好きなことに全力で向き合える(だいぶ綺麗な言い方がすぎるけども)のも一つ才能のようなものかもしれない。時どき少しKが羨ましくなるときはある。

不本意に夜遅いことが増えてまいりました

つっかーと言います。



amazarashiが沁み入る英語試験前夜。


このブログを始めたきっかけの一つが、今の自分の考えを書き留めておきたいっていうことだったんです。
高校生になったくらいで自分が変わった気がしてすごく現状に満足してたのもあるんでしょうね。
あの頃から急に今までとは比べ物にならない量の肯定を浴びたせいだと思います。


そんな満足した状況も大学に入って否が応でも変わる。今の環境がどれだけ楽しくとも高校の頃とは変化するわけで、違和感を抱えるのも当然だとは思います。
それと同時に漠然とした変化が良い方向かどうかとかではなくて、ただただ変化そのものに怯えているのに気が付きました。


なにかしら変えないでいればその他の変化にも耐えられるかななんて感じていて、そういう行動をはっきりと今日自覚しました。
なんだかわがままとか、無理矢理に見えます。
こういう行動や欲求が悪ではないけど、何故か躊躇いを与えるのはなんででしょうね。
自分が決めた時期にずっととどまっていられればどれだけ楽でしょう。
この答えがJ POPの中にあるんでしょうか。


amazarashiの秋田さんは、生きた轍が自分と言われてますけど、僕には進まなきゃいけないことへの恐怖がまだあるみたいです。
その過程で変わっていってもあとから見返したら、その時前を向く気が起きるくらいが関の山なんだろうな。
先のこと考えてどうするんだろう。


臆病なことで。

読まなくとも本を買うだけで楽しい

つっかーと言います。

 

 

 

実はドイツ語を勉強しなきゃいけないと気付いて焦る夜。

 

 

ここ最近、本を買って後悔したためしがないような気がします。

読めば大抵得るものはあるし、読まなくともいつか読もうとうきうきできるわけですから。本に囲まれているだけで幸せなんて人がいましたが、それに近いです。

 

 

1章で読まなくなった法学入門も、10ページで挫折した洋書も、いつか読めばいいかなと思っています。読まないことで可能性はその分だけ広がっていくととらえると、読まない方が読むよりも自分の想像力が鍛えられるようで、楽しくないですか。

 

 

そうは言っても、読まないことには何も進まないので、今回はちゃんと読もうと思います。

 

 

カードを作ったせいでネットショッピングの敷居が下がったのもあり、買ってしまいました。柄谷光人「探求Ⅰ」。内容はあんまり把握していないけれど、大学の先生におすすめされたし、レポートの題材が必要だったのでちょうどいいかなと。

ものごとはふたを開ける前が一番わくわくするといっても過言じゃないような気がします。

今はもう、とにかく何が書いてあるんだろうと内容に思いをはせています。

 

 

知っていることは、「他者」にまつわる本だってことくらいです。

哲学なんかで言われる「他者」って何度聞いても違和感がありますね。自分以外の事物すべてを指すわけで、人だろうがゴリラだろうがリンゴだろうがみんな「他者」。

しかも自分以外の「自分」ってなんだよとか、話はとどまることを知らない。この気持ち悪さに無意味に惹かれる自分がいるのも事実で、ずっとそんなことを考える時間があってもいいなと思うんです。

 

 

「他者」が僕に何をしてくれるのかはよくわからないし、僕が「他者」に何をしているのかもよくわからない、そんな世界に生きてるんですよ。人によっちゃ人間は物に触れることもできてないとか言うし。魔境も魔境です。

こんな確証も保証もない世界なんだったら、せいぜい何か一つくらい根拠のない確信が欲しいものです。もしくは、これを信じて裏切られても本望だ、みたいなものでもいいかもしれないです。

 

 

そんなものに出会えたらさぞかし胸が苦しくなることでしょうよ。

 

 

夜中のブログとネットショッピングは調子に乗ってしまうのでできるだけ控えようと思います。